チャプター3

ロサリオは港町。人口から言えばアルゼンチンの第2の都市とも言えるし、いやそれはコルドバ市だよと言う人もいる。まあ最悪でも第3位の都市となる。 サンタフェ州の南東部、ブエノスアイレスからパラナ川を遡るとこ300キロに位置する。 ロサリオ市出身の著名人リストには、サッカー選手のリオネル・メッシ、ゲリラ革命家のエルネスト・チェ・ゲバラ、ミュージシャンのフィト・パエス、リト・ネビア、ホアン・カルロス・バグリエト、漫画家のロベルト・フォンタナローサ、コメディアンのアルベルト・オルメドなどが名を連ねる。         また1812年には、マヌエル・ベルグラーノ将軍が水色と白のアルゼンチン国旗を初めて揚げた場所として歴史に記されている。そして今のアルゼンチンの音楽シーンを率いる、22歳の女性ミュージシャンのニキ・ニコールもロサリオ出身だ。 本名ニコール・デニス・クッコ、2019年、低予算で作製されたWapo Trakeroでデビュー。僅かな期間で大ヒットとなった。現在まで、3枚のアルバムを発表している:Recuerdos, Parte de mi とAlmaだ。 またTiny Deskというドラマシリーズにも出演し、アルゼンチンのWos, Cazzu, Natty PelussoとConociendo a Rusia などのアーティストともに、最優秀ヤング・アーティスト・ラティン・グラミー賞にノミネートされる。他にもスポティファイ賞2つ、ガルデル賞2つ、40ミュージック・アワード賞2つ、ロ・ヌエストロ賞1つ、キエロ賞2つ、獲得する。       デジタル・マルティン・フィエロ賞、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード賞、やMTVミレニアル賞のノミネートも受ける。 彼女のテーマは何百万回も再生されている。 […]

9月13日(水) 番組          

チャプター1

アルゼンチン・セッション BZRP ビザラップ アルゼンチンについて説明することは難しい、うんそうだ。 知るにあたってのまず最初の一歩として、偉人の名前から始めるのもいいかも知れない: ホアン・ドミンゴ・ペロン、チェ・ゲバラ、エビータ、ディエゴ・マラドーナ、リオネル・メッシ、ホセ・デ・サン・マルティン、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、フリオ・コルタサル。 音楽シーンでの偉人としてアタウアルパ・シュパンキ、メルセデス・ソサ、アニーバル・トロイロ、カルロス・ガルデル、ロベルト・ゴジェネチェ、アストル・ピアソラ、チャルリー・ガルシア、ルイス・アルベルト・スピネッタ、ソーダ・ステレオなどが挙げられる。 みんながアルゼンチン。         その歴史を一本のラインとして語るのもなかなか難しい。 1975年、軍事政権が樹立した時、アルゼンチンの暗い長い夜が始まったともいえる。 そして1983年、マルビーナス戦争の後、日が差した: 民主主義を手に戻す。以来、40年間にわたって選挙が行われる。人々は自由と夢を手にし、同時にハイパーインフレに苦しみ、汚職にまみれ、逆境も体験する。すべてを乗り越え生き続ける。立ち上がって。 今は新しい空気が音楽界では吹いている。 これまでの名前とこれからの名前、両方ともアルゼンチンだ。     これからの名前の1人にゴンサロ・フリアン・コンデがいる。25歳になったばかりのブエノスアイレス州西部のラーモス・メヒーア市出身だ。ロックバンドのディビディードスに言わせると、振動があるところ。 ゴンサロは今では世界で最も聞かれているアルゼンチンのミュージシャンで, ビザラップBZRPと名乗っている。       ビザラップはトレードマークの黒のサングラスといつも被っているキャップ、額部分にある名前BZRP ビザラップから母音を抜いた、ロゴマークで彼だどすぐわかる。シャキーラと一緒の歌で知られるビザラップは、インタビューに応じることは数少なく、サングラスは絶対外さない。 スポティファイではスペインのラッパー ケベドとのコラボの1曲は10億回再生された。昨年の7月スポティファイに登場し、わずか10日間で世界ランキング第1位となった。アルゼンチン・アーティストとしても初の快挙となった。そして昨年、アルゼンチン・アーティストの曲で最も聞かれた曲ともなった。 スポティファイは世界で最もスケールが大きい音楽プラットフォームで、ビザラップのスポティファイでの成長には目を見張らせるものがある。7年間で120万回の再生から20億9千万回の再生数まで増やし、2022年には世界で最も再生されたアルゼンチン・アーティストとなった。 ブエノスアイレス市の競馬場で3日間続けてリサイタルを開催し、6万人以上のファンが集まった。その後、ヨーロッパ各地で8月22日までコンサートを行った。海外のライブツアーはレゲトン発祥の地と言われるプエルトリコで始まった。3万人を超えるファンが集まった。 ビザラップは米国のタイム誌により、次の世代のリーダー達の1人に選ばれている。ビルボード誌のグローバル・チャートトップ3を達成し、Tu […]

9月8日(金)番組          

チャプター2

アルゼンチンは難解な国。ある一曲の歌詞に歌われているように、その歴史は「パンチとビンタの末に」作り上げられた。 アメリカ大陸の南、アンデス山脈の東に、イタリアとスペイン、ヨーロッパからの大勢の移民の到着と共に築き上げられた。       ブエノスアイレス港の付近に移民たちは住みつき、ヨーロッパと南米土着の先住民族コミュニティーが混ざり溶け合い、アルゼンチンのアイデンティティーのタンゴは生まれた。 タンゴの旗手にはアニーバル・トロイロ、カルロス・ガルデル、ロベルト・ゴジェネチェ、アストル・ピアソラ、エンリケ・サントス・ディシェポロ、オメーロ・マンシ、オラシオ・サルガン、ルーベン・ホアレスなど、有名な名前が揃う。 ブエノスアイレス市の南にあるラ・ボカ地区にイタリア系移民が住みついた。アルゼンチンの最大のサッカークラブ、ボカ・ジュニオルズを創設したのも、イタリア人、ジェノバ出身の男たちだった。アルゼンチンに着いてからのジェノバなまりのイタリア語が変わりに変わって、今ではボカ・ジュニオルズのサポーターのことをシェネイセスと呼ぶ。     カラフルな街並みのラ・ボカ地区は観光客にも大人気。そのラ・ボカ地区は、現在のアルゼンチンの音楽シーンを担うアーティスト、トゥルエノを生み出した。 トゥルエノ(本名 マテオ・パラシオス・コラシーナ)は現在21歳で若い世代より絶大な支持をうけている。 ボカ・ジュニオルズのサポーターで、生まれ故郷に深い愛情を抱く。 リオネル・メッシが登場する前までは、世界1のサッカープレーヤーだったディエゴ・マラドーナも死ぬまでボカ・ジュニオルズの熱狂的なサポーターだった。     ラ・ボカ地区があるブエノスアイレス市の南部は貧困層が目立つ場所だ。そこにボカ・ジュニオルズのスタジアム、チームカラーのブルーとイエローで彩られたラ・ボンボネーラは建つ。観光客に大人気の地区でもあり、アルゼンチンを代表する画家の1人、キンケーラ・マルティンもラ・ボカ地区を愛した人物でもある。 アルゼンチンに着いた移民により作られた町で、当時の住居、長屋の集合体は現在、民宿となっており、観光客に人気。そこで、トゥルエノはアメリカの国営ラジオNPR制作のシリーズに出演した。         トゥルエノは父親のウルグアイ人のラッパーのmcぺリグロ、本名ペドロ・パラシオの影響を受け、音楽界にデビュー。 手掛ける歌詞のほとんどが日常生活、生まれ故郷を歌ったもの。彼自身は自分のアイデンティティーはブエノスアイレス市のコムーナ4にあると明言している。ラ・ボカ地区、バラ―カス地区、パルケ・デ・ロス・パトリシオス地区、ポンページャ地区がコムーナ4を構成してる。   […]

9月6日(水)番組          

アルゼンチン国営ラジオ放送局サンガブリエル大天使支局LRA36 に新たな短波放送機が、ハビエル・グラッツさんより寄付され、そのための記念行事が去る月曜日ブエノスアイレス市内で行われました。ホルヘ・タイアーナ国防大臣、アルゼンチン軍南極特別部隊のエドガル・カランディン大佐、アルゼンチン国営テレビ・ラジオ放送局のロサリオ・ルフラーノ代表とアルゼンチン国営ラジオ放送局のアレハンドロ・ポント・レシーカ代表が参列しました。南極圏に駐屯するアルゼンチン軍が行う科学・技術研究の鍛錬の賜物が国内だけではなく、国外にも伝えることが可能になります。 タイアーナ国防大臣は南極からの放送を聴けるということは愛国心啓蒙を意味するとのべ、またルフラーノ代表はアルゼンチン国営テレビ・ラジオ放送局は陸、海、空のすべての空間での放送が可能となったと語りました。 カラディン大佐は南極圏でのアルゼンチン主権主張に大きく貢献すると示唆しました。 またこの記念行事はアルゼンチン国営ラジオ放送局の全国網でも同時中継され、ポント・レシーカ代表、アドリアン・コロルRAE代表、RAEイタリア語番組担当で今年の初め南極よりのニュース番組放送に貢献したマルセロ・アジャラさん、アルゼンチン国営ラジオ放送局の2人のキャスター、マリオ・ジョルジさんとフェデリカ・パイスさんによって放送されました。 サンガブリエル大天使支局は1979年の10月20日開局され、以来途切れることなく、南極から情報を発信し続けています。そしてアラスカ、アイスランド、日本など、世界各国で聞かれています。              

9月1日(金)番組                  

タンゴ特集              

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