4月20日(水)番組        

4月14日(木)番組    

4月13日(木) 番組            

4月8日(金) 番組          

英国のウェブサイト“Declassified ディクラシファイド UK”が行った世論調査で49%がマルビーナス諸島はアルゼンチン領土であるとの認識を示しています。そして21%が英国のコントロール下にあるべきと答えています。 そして20%が両国合同主権であるべきだと答えています。 アルゼンチンのギジェルモ・カルモナ マルビーナス諸島局長は、英国の主権主張に関する支持率の低下を示すものだと指摘しました。 カルモナ局長は、英国民の大半が税金を投じて植民地を維持することに意味を見いだせないことを印していると述べました。 英国は現在1億ドルをマルビーナス諸島の軍事費用として予算をあてています。 ディクラシファイド UKによると、当時のマーガレット・サッチャー政権はマルビーナス諸島戦争開戦の2年前に、アルゼンチン政府に同諸島のコントロールを譲るため極秘の会議でその意向を伝えたと報じています。  

4月7日(木) 番組            

4月6日(水)番組        

アルベルト・フェルナンデス大統領はブエノス・アイレス市のマルビーナス諸島記念博物館で行われたマルビーナス諸島戦争開戦40年を記念するセレモニーでスピーチし、『マルビーナス諸島は過去、現在、将来ともにアルゼンチン領土である』と断言しました。 その際フェルナンデス大統領は対話によって和平的な解決を模索する、国連の採決第2065条を履行するよう英国政府に呼びかけました。 また南大西洋圏マルビーナス諸島付近海域における英国の”正当な理由なき軍事力アピール”を厳しく追求しました。     1時間にわたるマルビーナス諸島戦争の帰還兵と戦没者の遺族への勲章授与式は大統領スピーチで終了しました。 フェルナンデス大統領はマルビーナス諸島で戦った兵士達の比類なき勇気を心から称えるよう、市民に訴えました。 軍事政権により、民衆に背を向け、民衆を操るため始まった戦争に、身を投げ出し国家の主権を守った人々を称賛しました。 そしてアルゼンチンの兵士は敗戦でもその士気は衰えることはなかったと強調しました。. 『マルビーナス諸島帰還兵が2度と忘却の彼方に埋もれ、どの政権の沈黙に侵される事ないよう気を引き締めてゆく』と大統領はスピーチを締めくくりました。 ブエノス・アイレス市でのセレモニーには南米の元国家元首3名、ウルグアイのホセ・ムヒーカ元大統領、ボリビアのエボ・モラーレス元大統領とフェルナンド・ルーゴ元大統領が出席しました。 アルゼンチンのマルビーナス諸島主権主張を支持するラテンアメリカ国家に謝意を表しました。

  1833年以来英国による不法占拠されているマルビーナス諸島を取り戻すため、プエルト・アルゼンチンにアルゼンチン軍が上陸し、本日マルビーナス諸島戦争開戦より40年をむかえます   そして2ヶ月間を超える戦闘期間を経て、アルゼンチン軍の降伏により、戦争は終結しました。 敗戦により1976年より続いていた軍事政権の崩壊が早まり、1983年には民主主義政権が復活します。 以来アルゼンチンはマルビーナス諸島における主権主張に関し、英国との対話続行のため様々な国際機関で働きかけています。   国連の採決2065令でマルビーナス諸島に関して英国とアルゼンチン間の紛争の存在が認められ、両国に解決のため対話を促す議決が採択されました。   1982年のマルビーナス諸島戦争は649人のアルゼンチン人兵士が戦死しました。 そのうちの300人が英国海軍の水雷によるへネラル・ベルグラーノ戦艦の撃沈により戦没しました。 アルゼンチン軍上陸より40周年をむかえる4月2日、それを記念し、前夜祭が全国で行われました。 前夜祭の中心行事はマルビーナス諸島を管轄下に持つティエラ・デル・フエゴ州の首都リオ・グランデ市で行われました。 マルビーナス諸島に最も近い大陸圏の都市がリオ・グランデ市でもあります。約600キロ離れています。 コロナ渦で隔離政策のため、約2年の間、対面できずにリモート会議などでしか接触が持てなかったマルビーナス諸島帰還兵達が再会を喜びあったセレモニーでした。 大陸圏アルゼンチンの南端、水温は3度前後のアルゼンチン海の海岸沿いの街で、大勢の市民がセレモニーに参列しました。 アルゼンチン政府を代表しホルヘ・タイアナ国防大臣とカルラ・ビソッティ保健大臣が参列しました。 ティエラ・デル・フエゴ州のグスターボ・メレラ知事、フフイ州のヘラルド・モラーレス知事をはじめ、与野党の議員らも参加しました。 前夜祭は金曜日午後8時にミサが始まり、40年を象徴し、戦没者を追悼する40のたいまつの行列が入場しました。 そしてむかえる4月2日0時の少し前、リオ・グランデの英雄広場で1年前より掲げられている国旗が下げられ、ジャスト0時にはまた1年間来年の4月2日まで掲揚される新たな国旗がポールをのぼりました。 国旗が掲げられるのを見守る帰還兵と他の聴衆は、 “天空になびく”の歌詞を感涙にむせびながらくちずさんでいました。 アルゼンチンの作曲家エクトル・パニッツァが手掛け1908年発表されたオペラAuroraの歌詞の1部で “我ら愛国の旗よ、太陽から生まれ神より頂戴した”と続きます。 そして国旗が国旗竿の最上部で止まると、前夜祭の参加者全員で国歌斉唱となりました。 リオ・グランデ市マルビーナス諸島帰還兵の会のラウル・ビジャファニェ代表は、コロナ渦による隔離を乗り越えるため、対面式の前夜祭は必要不可欠だった、皆で再び集まることが、とテラム通信社に語りました。 夜通しで行われたマルビーナス諸島戦争についての写真、映像や置物の展示会を参加者は見て回りました。 […]

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