オンラインでバーチャル参加料無料で

世界各地を移住する人々をテーマとし、洞察、共感、このテーマを深く掘り下げる、第11回国際映画フェスティバル CineMigranteが9月29日(火)までストリーミングで配信されます。オンラインでバーチャル参加料無料となっています。 今回この映画祭はオンラインに場所を移し、作品の上映会、懇談会、回顧展が開かれ、監督、出演者、ゲストや一般客がインタラクティブな交流を行います。 出品作品の上映はストリーミングでライブ配信され、オンデマンドではありません。臨場感を出し、コミュニティーが一丸となって映画を作成するという手作りの雰囲気をトレードマークとするこの映画祭の持ち味を最大限に引き出すためです。 本年の映画祭ではアルゼンチン時間17時から24時(UTC時間20時から3時まで)5つのスクリーンに分かれて上映会が行われます。人々のすれ違いを "I Can´t Breathe", "Necropolítica/Fronteras" と "Relatos que Agujerean la Trama"の3本柱を通して問いかけます。 "I Can´t Breathe”がテーマのスクリーン1では若き群衆が1つの叫びのもとに大きなうねりを作り出してゆく映像が見られます。 “Necropolítica/Fronteras" がテーマのスクリーンでは国境が人々の生活に多大な影響を及ぼし、国境を超えるということは、時によっては命を失うことを意味する、そんなストーリーが映し出されます。 米国の活動家、Kazembe Balagúnさんによる "I can't breathe. Black Lives Matter’より生まれた魂の叫び”と題される講演会が行われます。そしてブラジルのリオの貧民街ファベラで、警官により虐殺された未成年者らの母親達の正義を求める闘争を描いた映画 "Las vidas […]

アルゼンチンにおける新型コロナウィルス感染症Covid-19の現状

アルゼンチン中央政府は新型コロナウィルス感染症対策として、ソーシャル・強制・予防自宅隔離の続行を10月11日まで延長すると発表しました。さる金曜日発信されたテレビ・スポットではフフイ州、サンタ・フェ州、サルタ州やメンドーサ州で見られる新型コロナ感染の指数の増加は警戒を促すもので、感染件数の急激な増加に対応するため、対策は強化されると、啓蒙されています。   このスポットでは、10月11日まで全国自宅隔離対策が母体となり、各州、各自治体が各地域の状況に配慮し、最善の対策がとられると発表されています。地方では感染件数が急激に増加しており、人の行き来を規制するレベルで最悪のフェーズ1を示しており、各地の医療機関の応対体制が崩壊の危機の瀬戸際にあります。 全国で外出禁止に続く自宅隔離、移動に関する規制やコントロール策が講じられ、もはや6ヶ月が過ぎました。アルベルト・フェルナンデス大統領はパンデミックに気を緩める事はできないと述べ、この状況下、南米諸国の中でアルゼンチンは感染に関して善戦していると際立たせました。また、フェルナンデス大統領は “パンアメリカン保健機構はCovidはアメリカ大陸で感染拡大となっており、長引くコロナ禍、住民に引き続き油断をしないよう注意を促している。私達も気を引き締めて行かなければならない。” と語りました。   日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

コロナ禍中、パタゴニアでは休校となっています

新型コロナウィルス感染拡大でアルゼンチン全国の教育機関が閉鎖されています。都市部ではインターネットアクセス環境が整い、コンピュータやタブレットなどのデジタル端末機が各世帯にある都市部では、ズームなどを通しリモート授業が行われています。 しかし地方の僻地ではインターネットアクセス環境は不十分、または無いという状況下、授業続行は大変むずかしいものです。 アルゼンチン南部、パタゴニア地域のチュブット州の第132エル・ラダル丘農村学級では毎週金曜日、ローカルラジオが基礎的な授業コンテンツを放送したり、生徒達やその家族を結ぶ役割を果たしています。 授業コンテンツを準備する教師陣のうち、3人の先生の名前はニエベ・ソサさん、ガブリエラ・ラマさんとアナ・マウロさんです。 第132エル・ラダル丘農村学級は首都ブエノスアイレス市より南に1700キロ離れたパタゴニアに位置しています。チュブット州のプエロ湖より距離8キロの場所です。 ラエ、世界に向けてアルゼンチンはニエベ・ソサさんとお話しました。第132エル・ラダル丘農村学級の5年生のクラスの担任教師で、学級付近に転々と位置する農村より通常なら140人の生徒が通うと語ります。コロナ禍で毎週金曜日、教師陣が作成し司会を務めるラジオ番組でコラムニストとして生徒たちが参加します。     財政難のチュブット州では教師たちの給料支払も滞っているという状況のなか、毎週金曜日、子どもたちが喜んで、選曲したり、歴史、芸術、科学や環境保護について意見を述べたりする様子をソサさんは語ってくださいました。また都市部から離れている遠隔地、僻地ではラジオと農村学級が住民の心の支えになっていると強調しました。…… 日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

NPR - アルゼンチン国営ラジオ放送局ウスアイア&マルビーナス諸島支局より

人権擁護団体 ‘5月広場・祖母の会’のエステラ・デ・カルロット会長はアルゼンチン国営ラジオ放送局のウスアイア&マルビーナス諸島支局のスタッフのインタビューを受けました。   その中で会長は “アルゼンチンの最後の軍事政権下、行方不明となった少年・少女を探し出し、元の家族に還すバーチャル活動は現在も続いており、5月広場・祖母の会は休みをとっているわけではない。”と強調しました。 そして現在アルゼンチンは “(1983年の12月以降)最も長い間民主主義政権が続いており、(1976年-1983年まで続いた)民間・軍事独裁政権下犯された人類に対する犯罪を裁く裁判でストラセーラ検察官が発した一節を引用し、“もうこれから絶対に は もうこれから絶対に” このような犯罪は犯されてはならないと断言しました。   日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:アルゼンチン国営ラジオ放送局ウスアイア支局 ラエ世界に向けてアルゼンチン:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

全国ネットワーク・インタビュー

ラエ、世界に向けてアルゼンチンは、全国ネットワーク・インタビューでアルゼンチンのミュージシャンで作曲家のペドロ・アスナールをご紹介します。 全国ネットワーク・インタビューは、アルゼンチン国営ラジオ放送局の全国の49の支局が参加して行われ、各界の著名人と対談します。 今回インタビューに応じてくれたミュージシャンのペドロ・アスナールはコロナ渦中で61歳を迎え、ミュージシャン仲間各自の家庭から参加し、誕生日パーティーをストリーミングで祝ました。 ペドロ・アスナールは1978年から1982年まで、セル・ヒランのメンバーとしてチャルリー・ガルシア、ダビッド・レボン、オスカル・モロと共に活動し、またアメリカのギタリスト、パット・メセニーともジョインし音楽活動を行い、この25年間はソリスタとして活躍しています。   これまで30枚をこえるレコードをスタジオで、またはライブで収録しています。映画のサウンドトラックを作成したり、ミュージシャンのチャルリー・ガルシアやダビッド・レボンとのドュオで作品を発表したりしています。200を超える作曲、約120のカバーやラテンアメリカ、北アメリカや英国のミュージシャンのテーマのアレンジなども手掛けています。バンド セル・ヒランの絶頂期、アメリカのバークリー音楽院で勉強するため、脱退し自身の道を歩み始めます。ペドロ・アスナールのキャリアは膨大で、ミュージシャン以外に写真家、詩人、そしてソムリエとして多彩なタレントで活躍しています。 日本語訳・ナレーション:植田敬子 ウェブサイト:フリアン・コルテス コーディネート:マルティン・ビビロニ

全国ネットワーク・インタビュー

サンティアゴ・カフィエロ内閣官房長官は アルゼンチン国営ラジオ放送局・全国の49の支局のメンバーが集い行われる 全国ネットワーク・インタビューで質問に応え懇談しました。 カフィエロ官房長官は債務再建・整理、野党の役割、コロナ禍以降のポスト・パンデミックにおける国家に要求される働きについて言及し、行方不明となっていたファクンド・アストゥディージョ・カストロさんの白骨死体が発見された件での司法の正義の裁きを訴えました。“何が起こったかを明らかにし、最後の最後まで事実解明されることを望む”と。 多大なテーマの中でも、特に新型コロナウィルスワクチンを製造する世界16カ国の1つになったアルゼンチンの科学技術をカフィエロ官房長官は高く評価しました。そして “アルゼンチンの生産・技術能力を声高に語っていかなければならない。前政権がしたことは、私達が名誉に思うべきことを痛め、損なうことだけだった” と厳しく批判しました。 日本語訳・ナレーション:植田敬子 ウェブサイト:フリアン・コルテス エグゼクティブコーディネーター:マルティン・ビビロニ

見つかった遺体の身元が確認されました

先月8月見つかった白骨死体は、4月30日より行方不明となっていた当時22歳だったファクンド・アストゥディージョ・カストロさんであると確認されました。ブエノスアイレス州のペドロ・ルーロ市の実家を出たあと行方不明となっていました。 捜査担当の裁判官により身元確認情報は発表されました。 白骨死体が息子だと確認された母親のクリスティーナ・カストロさんは “大きなビンタを張られたようだ”とのべ、事実解明のため、全身全霊を捧げると語りました。 La Garganta Poderosaという人権擁護団体のソーシャルネットワーク・フェイスブックにカストロさんは投稿し、“息子はもう死体になっていると思うのと、現実に死んでしまったという事実を突きつけられるのはだいぶ違う。自分ではこの瞬間のために心の準備をしてきたと思っていたが、本当に大きなビンタを張られたようなものだ”と心情をさらけ出しました。 “息子を家に連れて帰り、何が彼の身に起こったのかを知るための戦いが始まる。司法からは正義の裁きをだけを待つ”と吐露しました。 このニュースを受けアルベルト・フェルナンデス大統領はクリスティーナさんへのお悔やみの言葉をのべ、アクセル・キシロフ ブエノスアイレス州知事と共に事実解明のため、最後まで彼女の側についていくと述べました。 白骨死体の検視はアルゼンチン検視確認チームとブエノスアイレス州検視部隊により行われました。 ファクンド・アストゥディージョ・カストロさんの生前の姿が最後に確認されたのが4月30日、ブエノスアイレス州の警察による交通コントロール・ストップでした。白骨死体が発見されたのは先月8月の15日、生前最後の姿が確認されている場所とは違う場所でした。 当初は家出と見られていましたが、日数が経つに連れ、罪状は強制的連行による行方不明となりましたが、まだ逮捕人は出ていません。ファクンドさんの母親と弁護人グループは生前最後にファクンドさんと接触した警官らが犯罪を犯したと訴えています。 現政権よりの人権擁護団体やそうではない団体もこのケースについて“国家には責任がある”との姿勢を示しています。 日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

大統領は債務再編完了を発表しました

アルベルト・フェルナンデス大統領はさる月曜日、アルゼンチン政府は国外の債権者らとの債務再編プロセスを終了したと発表しました。新たに国債を交換することで93,5%の債権者と合意を得ました。 フェルナンデス大統領は“アルゼンチンはバーチャル・デフォルトに陥っていたが、約束事は守られるべきとやることはやったという安心感があり、また信頼感も損なわられていない。”と語りました。     フェルナンデス大統領は“2018年1月のデフォルト以降、もう市場はアルゼンチンには貸付無いと言われていたが、今回の債務交換は成功に終わった。”とのべ、またマルティン・ グスマン経済大臣も“今回の債務交換で次の10年間で377億ドルにのぼる債務支払いに一息つくことができ、利率も7%から3%まで減らす事ができた。”と説明しました。 グスマン経済大臣は来週以降、予算案が国会に送られるとのべ、“来年度の財政赤字は国内総生産GDPの4,5%ほどになると見られる”と語りました。 日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

アルゼンチンのラジオ放送100年の歴史

本年2020年はアルゼンチンでラジオ放送が始まってから100年という佳節を迎え、1年を通じて記念行事が行われます。この100年の間、様々な歴史的な出来事があり、ラジオ放送もそれらの歴史的瞬間の証人としてその役目を果たすなか、国民の心に刻まれてきました。 今回は史実の中から、英国との間に1982年勃発したマルビーナス諸島戦争におけるラジオ放送に焦点を当てたいと思います 同年4月2日、アルゼンチンの手に一旦マルビーナス諸島は戻りました。 マルビーナス諸島紛争は、戦争における全ての分野、戦略に始まり、外交、経済、そして通信分野までもに影響を及ぼしました。 南半球の果てのマルビーナス諸島の軍事紛争で、ラジオがどのようにプロパガンダとして利用されたか、その点についてお話を進めたいと思います。 世界各国では和平時でも戦時でも、ラジオ放送は常に効果的な武器の一種として利用されてきました。 ラジオを政治的に利用した最初の国はドイツだと言われています。 第2次世界大戦中はトーキョー・ラジオ、ドイツ・ラジオ、BBCラジオ、を始めとする世界のラジオ放送がプロパガンダとして、又は策略の一環として政治的に利用されました。 大戦後、それに続いた冷戦時代、電波戦争が起こりました。様々な社会、政治、経済システムの国々がそれぞれの利益のため、また、敵対国を陥れるため電波交差しあいました。 その主な例として挙げられるのはモスクワ・ラジオ、アメリカの声、北京放送です。 そして欧州のフリー・ヨーロッパやフリーダム・ラジオが続きます。東欧諸国や、ソ連解体の後誕生した一連の独立共和国にむけて放送が行われました。 と同時に海賊版放送局といわれる、紛争地域やその周辺地域より隠れて放送を行うラジオも出現しました。 1982年の4月2日以前、マルビーナス諸島には英国のBBC放送のニュースと現地ニュースを英語で流すフォークランド・ラジオ・サービス(FIBS)がありました。使用しゅうは数は536Khzと2370Khzでした。 AM放送でポート・スタンリーと結び、短波放送で諸島の遠隔地域をカバーすることが試みられました。 アルゼンチン海外向け放送局とアルゼンチンニュース・ラジオも英語番組が放送されていました。また英国のBBC放送もケルパーズと呼ばれる諸島住民を対象とする番組が流されていました。全て短波放送でした。 テレビ番組はアルゼンチンのサンタ・クルス州のリオ・ガジェーゴス市の9チャンネルが時々受信されていました。 1982年4月2日、アルゼンチン軍はマルビーナス諸島を取り返し、同地域でのラジオ事情は大変換を成し遂げました。 数日後、FIBSはアルゼンチン軍により占拠され、アルゼンチン国営ラジオ放送局マルビーナス諸島支局LRA60番として全国ネットワークに組み込まれました。 そしてアルゼンチン人スタッフも瞬時に着任となりました。音響担当として、エルネスト・マヌエル・ダルマウ氏、テクニカル・オペレーターとしてフェルナンド・エクトル・ペンドラ氏、アナウンサーはノーマン・カルロス・パウエル氏がそれぞれ任命されました。 マルビーナス諸島支局LRA60番は、以前フォークランド放送FIBSが使用していた施設や機材をそのまま引き継ぎました。 紛争終了まで、LRA60番のアナウンサーは現地のメディアのことを良く知っており、マルビーナス諸島特有の英語にも堪能であった、前任のワッツ氏が務めていました。しかしこれが英軍にオンエア中のアナウンスにより戦略を読まれてしまうはめになってしまったのです。 紛争の間、アルゼンチン国営ラジオ放送マルビーナス諸島支局LRA60番はプエルト・アルヘンティーノのラジオの敷地内に設置されたケーブル・システムで放送を行っていました。中波536Khzと短波2370Khzの放送も同時に行われていました。これらの番組はアルゼンチン本土へむけて短波放送のリレー放送でも中継され、本土では他のラジオでもキャッチされました。LRA60番は当時の全国ラジオネットワークの筆頭放送局であったことが幾度かありました。 リレー放送で使用された周波数は15890Khzと24146KhzでUSBバンド運営のCable&Wireless Co.より設置されました。これらの周波数は紛争以前、諸島と英国間の通信に使われていました。 当時のLRA60番のプログラムはバラエティーに溢れ、英語とスペイン語の音楽、BBC放送のスポーツニュース、住民達に向けた英語・スペイン語でのコミュニティー・アナウンスとニュース、また遠隔地に点在する農場や牧場の住民達あてのメッセージなども発信されていました。 またアルゼンチン本土よりマルビーナス諸島へむけての放送も盛んに行われていました。アルゼンチン海外向け放送局やアルゼンチン・ニュース・ラジオは周波数6060Khzの短波放送で、アルゼンチン国営ラジオ放送局コモドロ・リバダビア支局LRA11番とリオ・グランデ支局LRA24番も特別番組を編集し、マルビーナス諸島支局へ向けて放送していました。 […]

Scroll To Top