タンゴ・アルヘンティーノ
タンゴ・アルヘンティーノ
歴史再発見

“1816年も末、アルゼンチンはスペインからの独立を宣言した後も、スペイン軍の執拗な侵攻の試みに悩まされていました。特に北部でその動きは激しく、現在のペルーとボリビアの地域ではスペイン軍が勢力を巻き返すため 躍起になっていました。 また港から離れている州と、フランス、イギリスとの貿易関係を優先したいブエノスアイレスの間の対立も激しくなっていました。(…)”

歴史再発見

"1816年 宣言されたアルゼンチンの独立を世界で始めて認めたのは 太平洋のハワイ王国でした。カメハメハ3世は アルゼンチン共和国の前身、当時のリオ・デ・ラ・プラタ 合衆国の名代、フランス国籍のコルセア、イポリト・ブチャードと 1918年、自由貿易協定を結びました。イポリト・ブチャードは 南米で産声を上げたばかりの リオ・デ・ラ・プラタ合衆国を世界の列強国として認められるよう尽力を惜しまなかった 人物です。(...)"

アルゼンチン・ルート (RUTAS ARGENTINAS)

“アルゼンチン最南端の州、ティエラ・デル・フエゴ州に位置する 世界最南端の町 ウスアイア。ブエノス・アイレスより 南2377キロ離れ ビーグル海峡沿いに位置する 面積僅か23平方キロメーターの ウスアイアは 先住民族 ヤマナ族の言葉で 日が沈む湾 を意味します。 山岳、湖、森林、海岸に囲まれ、商業・観光が活発で また、文化・社会イベント盛んです。 1982年より アルゼンチン観光局のガイドを努める ガブリエラ・セレステ・ステックレルさんに ウスアイアの魅力について 伺いました。(…)”

アルゼンチン・ルート (RUTAS ARGENTINAS)

"アルゼンチンの首都 ブエノス・アイレス市の南部に タンゴで有名な ラ・ボカ地区があります。 19世紀初頭 イタリアを初め ヨーロッパより多くの移民が船でアルゼンチンに到着し 受け入れられたのが ボカの港でした。 石炭のマーケットとして有名で、パラナ川を北上する船舶の食料、燃料の供給所としても活発な場所でした(...)"

アルゼンチン・ルート (RUTAS ARGENTINAS)

ブエノスアイレスから 約1200キロ離れた アンデス山脈沿いの サン・ホアン州に位置する イスチグアラスコ州立公園。陸路13時間、または空を飛ぶこと3時間弱、イスチグアラスコ州立公園、別名バージェ・デ・ラ・ルーナ(ムーン・バレー)に到着します。 恐竜の化石で有名です。 そしてサン・ホアン州独特の風により磨耗され 出来上がった 巨大岩石の自然の彫刻でも知られています。

この日曜日、2月12日は RAE開局記念日。今年で開局59年を 迎えます。 RAEの前身は SIRA アルゼンチン国際ラジオサービスで 1949年から1955年まで放送されていました。後中断され、今から59年前の 1958年の2月12日 ラエ・RAE・アルゼンチン海外向け放送局として放送が始まりました。 そして2016年の10月5日、ラエ、世界に向けてアルゼンチンとして再出発がきられました。 短波放送 と インターネットを通じて アルゼンチンニュースを  8つの言語で 皆様に お伝えしています。 モバイル端末、ポッドキャスト、オンデマンドで聴きたい場所で  いつでも ラエ お聞きになれます。 ソーシャルネットワークで 世界とつながり、ラエのウェブサイトでは タンゴ、フォルクローレ、ロック、ジャズ と ポピュラー、 そしてクラッシクの6つのジャンルの アルゼンチン音楽お楽しみいただけます。 ラエ、世界に向けてアルゼンチンは 今から59年前の1958年、2月12日 再開局された ラエ・アルゼンチン海外向け放送局の精神を 受け継ぎながら アナログ及びデジタル技術で 未来へ向けて 情報発信して行きます。 これからも支援のほどよろしくお願いいたします。 ラエ スタッフ一同  

民謡フォルクローレ

毎年夏の恒例 民謡フォルクローレ・イベント コスキン・フェスティバル。日本でも <コスキン・エン・ハポン>として 70年代より行われています。

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